大寒(だいかん)の由来と歴史を探る旅│四十節気最後の節目に迫る 二十四節気七十二候
『今回の記事は、、、』
旅行ライターのかすみが、大寒(だいかん)の由来や歴史、現代の風習を探る旅に出ました。二十四節気の最後を飾る大寒は、厳しい寒さの中にも春の訪れを感じさせる季節の変わり目。北海道の流氷、青森県のこみせ、山形県の「日本一寒い」看板など、各地に残る大寒ならではの風習から、先人の知恵と現代に生きる人々の強さを学びます。季節の移り変わりを大切にしながら、日本の文化や風習の奥深さを体感する旅をご一緒に。
こんにちは、旅行ライターのかすみです。みなさんは、「大寒(だいかん)」という言葉を聞いたことがありますか?二十四節気の一つで、一年で最も寒い時期を指す言葉ですが、その由来や意味、各地の風習については意外と知らない人が多いのではないでしょうか。わたしも日本全国を旅してきましたが、大寒の時期には地域によってさまざまな伝統行事や慣習があることを知りました。
そこで今回は、大寒についてその歴史的な由来から現在の過ごし方まで、詳しく解説していきたいと思います。日本の伝統的な季節の捉え方と、その魅力を再発見できる内容になっていますので、ぜひ最後までご覧ください。
大寒(だいかん)とは何か?四十節気の最後を知る
大寒(だいかん)の意味と定義
「大寒(だいかん)」は、二十四節気の最後の節気で、一年で最も寒い時期を指します。二十四節気とは、1年を24等分した季節の区分で、それぞれの節目に名前がつけられています。大寒は、冬の節気の一つで、太陽が285°の位置にあるときから始まり、300°に達するまでの約15日間を指します。
現在の暦では、毎年1月20日頃から2月3日頃までが大寒の期間とされています。この時期は、北半球で最も太陽の高度が低くなり、日照時間が短く、気温が低くなる時期と重なります。
四十節気とは何か
二十四節気に加えて、各節気の中間に「中気(ちゅうき)」と呼ばれる節目があり、これを合わせた四十節気が、古くから日本や中国で使われてきました。四十節気は、農作物の栽培や生活の目安として重要な役割を果たしてきました。
大寒は、四十節気の最後の節気で、立春(りっしゅん)の前に位置しています。立春は、春の始まりを告げる節気で、新しい年の始まりでもあります。大寒は、厳しい冬の最後の節目であると同時に、新しい春への準備期間でもあるのです。
大寒(だいかん)はいつ頃?
大寒の時期は、地域や年によって多少の差があります。東京を例にとると、2023年の大寒は1月20日から2月3日までの期間でした。一方、2024年は1月20日から2月4日までがその期間に当たります。
また、地域によって気候の差があるため、大寒の寒さの厳しさや長さにも違いがあります。北海道や東北地方など寒冷な地域では、大寒の期間が長くなる傾向にあります。
大寒(だいかん)の由来と歴史を紐解く
二十四節気の成り立ちと歴史
二十四節気の歴史は古く、紀元前の中国で始まったとされています。当時の中国では、太陽の動きや季節の変化を重視し、農作物の栽培や生活の目安としていました。二十四節気は、このような背景から生まれた季節の区分であり、現在でも東アジアを中心に広く使われています。
日本には、遣隋使や遣唐使などを通じて中国の文化が伝えられ、二十四節気も取り入れられました。奈良時代には、すでに二十四節気が定着していたと考えられています。平安時代になると、貴族の間で二十四節気を題材にした和歌が詠まれるようになり、文学作品にも登場するようになりました。
大寒(だいかん)の語源と由来
「大寒」という言葉の由来は、中国の古典「易経」に遡ります。「易経」では、「大寒為陰」という記述があり、これは「大寒は陰(寒気)のきわみ」という意味だと解釈されています。つまり、大寒は一年で最も寒い時期であり、陰の気が極まる時期だと考えられていたのです。
日本でも、平安時代の文学作品「枕草子」に「大寒の頃」という表現が登場しており、当時から大寒が一年で最も寒い時期として認識されていたことがわかります。
大寒(だいかん)と人々の生活
大寒の時期は、厳しい寒さのため、農作業が困難になります。そのため、古くから人々は大寒に備えて、食料や燃料の貯蔵に努めてきました。
江戸時代には、大寒の日に「寒の入り」と呼ばれる行事が行われていました。これは、僧侶が家々を訪れ、お祓いをして福を授ける風習です。また、大寒の日には、「寒餅(かんもち)」と呼ばれる餅を食べる地域もありました。寒餅は、小豆あんを餅で包んだもので、寒気を追い払い、健康を祈願する意味があったと言われています。
大寒の由来と歴史を見ていくと、古くから人々の生活と密接に関わってきたことがわかります。次の部では、大寒の時期の過ごし方や風習について、現在の日本を旅しながら探っていきたいと思います。
現代の日本における大寒(だいかん)の過ごし方と風習
大寒(だいかん)の時期の気候と自然
大寒の時期は、日本列島が西高東低の冬型の気圧配置に覆われ、厳しい寒さに見舞われます。特に、北海道や東北地方では、氷点下の気温が続き、深い雪に覆われる地域もあります。
一方、西日本では、晴れの日が多くなりますが、日本海側は雪が降ることもあります。太平洋側は、晴れの日が多いものの、朝夕の冷え込みは厳しくなります。
このような厳しい寒さの中でも、大寒の時期には、福寿草(ふくじゅそう)や沈丁花(じんちょうげ)など、早春の花が咲き始めます。これらの花は、春の訪れを告げる象徴として、人々に希望を与えてくれます。
現代の日本における大寒(だいかん)の過ごし方
現代の日本では、大寒の時期はさまざまな過ごし方があります。寒さが厳しい地域では、こたつに入ってみかんを食べたり、鍋料理を囲んだりして、家族や友人と団欒の時間を過ごす人も多いようです。
また、温泉地では、この時期に「寒の地獄めぐり」と呼ばれるイベントが行われることもあります。これは、寒い時期に温泉のあちこちを巡り、寒さを吹き飛ばそうというものです。有名な温泉地である福島県の飯坂温泉では、毎年1月の大寒の時期に「寒の地獄めぐり」が開催され、多くの観光客でにぎわいます。
大寒(だいかん)にまつわる現代の風習
大寒の時期には、現代でもさまざまな風習が残っています。例えば、京都では「大寒卯の花(うのはな)」と呼ばれる行事があります。これは、大寒の日に、卯の花(ウツギ)の枝を家の中に飾り、無病息災を願うものです。
また、神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮では、毎年大寒の日に「福豆まき」が行われます。この行事では、参拝者に福豆(煎った大豆)がまかれ、無病息災と家内安全が祈願されます。
さらに、長野県飯田市では、大寒の日に「寒天しめ縄」を作る風習があります。寒天を煮溶かしてしめ縄状に成形し、神棚に飾るというものです。寒天は、古くから不老長寿の象徴とされてきました。
大寒の時期は、厳しい寒さの中にも、春の訪れを感じさせる季節の変わり目です。現代の日本でも、さまざまな風習が残り、人々はこの時期を大切にしているようです。次の部では、わたしが実際に体験した大寒の風習について、具体的にお話ししたいと思います。
かすみが体験した大寒(だいかん)の風習
北海道における大寒(だいかん)の風物詩「流氷」
わたしが大寒の時期に訪れた北海道では、オホーツク海沿岸で「流氷」を見ることができました。流氷は、シベリアの大河から流れ出た氷が、オホーツク海を漂流してくる現象です。毎年1月下旬から2月上旬にかけて、オホーツク海沿岸に流氷が到着します。
流氷の到着は、その年の大寒の時期と重なることが多いため、北海道では大寒の風物詩として知られています。わたしが訪れた紋別市では、「流氷まつり」が開催されており、流氷の上でのわかさぎ釣りや流氷ウォークなどが体験できました。
流氷の美しさと迫力に圧倒されるとともに、厳しい自然の中で生きる人々の知恵と勇気を感じることができました。
青森県の「こみせ」と「せんべい汁」
青森県では、大寒の時期に「こみせ」と呼ばれる行事が行われていました。こみせとは、雪で作った小屋のことで、地域の人々が集まって、甘酒を飲んだり、雑談を楽しんだりする場所だそうです。
また、こみせでは「せんべい汁」という郷土料理が振る舞われることもあると教えてもらいました。せんべい汁は、南部せんべいを汁に入れて煮込んだもので、寒い冬の体を温めるのに最適な料理だそうです。
こみせやせんべい汁は、厳しい冬を乗り越えるための人々の知恵と、コミュニティの結びつきの強さを感じさせてくれました。
山形県の「日本一寒い」という看板
山形県の山形市では、「日本一寒いまち」という看板が目に入りました。この看板は、1985年1月17日に、山形市が-24.5℃を記録したことを記念して作られたものだそうです。
看板の前で写真を撮る観光客の姿を見て、寒さを逆手にとった町おこしの取り組みに感心しました。また、地元の人々が寒さを誇りに思っている様子からは、厳しい環境に適応する強さを感じました。
山形市では、大寒の時期に「日本一寒い駅伝大会」が開催されるそうです。参加者はみな表彰されるとのことで、寒さを楽しむ工夫が随所に見られました。
大寒の風習は、地域によってさまざまですが、いずれも厳しい寒さと向き合い、乗り越えてきた人々の知恵と強さが感じられるものでした。わたしも、これからも日本各地を旅しながら、大寒の風習や人々の暮らしに触れていきたいと思います。
まとめと感想
大寒(だいかん)について、その由来から現代の風習まで探ってきましたが、いかがでしたでしょうか。大寒は、一年で最も寒い時期ですが、同時に春の訪れを感じさせる季節の変わり目でもあります。
古くから日本や中国で使われてきた二十四節気は、人々の生活と密接に関わってきました。大寒の時期には、厳しい寒さに備えて食料や燃料を貯蔵するなど、先人の知恵が活かされてきたのです。
現代でも、大寒の時期にはさまざまな風習が残っています。北海道の流氷、青森県のこみせとせんべい汁、山形県の「日本一寒い」看板など、各地で寒さを楽しみ、乗り越えるための工夫が見られました。
わたしは日本全国を旅する中で、大寒の風習の多様性と、それぞれの地域の個性を感じることができました。厳しい寒さの中にも、人々の温かさや強さ、そして春への希望を見出すことができたように思います。
日本の四季折々の行事や風習は、私たちに自然の移り変わりを感じさせ、先人の知恵に学ばせてくれます。これからも、季節の変化を大切にしながら、日本の文化や風習を探求していきたいと思います。
かすみポイント
北海道の大寒の特色
流氷観光
オホーツク海沿岸に流氷が到着する時期と大寒が重なることから、流氷観光が人気。流氷ウォークやガリンコ号の砕氷船クルーズが体験できます。
青森県の大寒の特色
こみせとせんべい汁
雪で作った小屋「こみせ」で集い、甘酒を飲んだり雑談を楽しんだりします。こみせではせんべい汁という郷土料理が振る舞われることも。
山形県の大寒の特色
日本一寒い看板と駅伝大会
1985年に記録した-24.5℃を誇る「日本一寒いまち」の看板が有名。大寒の時期には「日本一寒い駅伝大会」が開催され、寒さを楽しむ工夫が見られます。
京都府の大寒の特色
大寒卯の花
大寒の日に卯の花(ウツギ)の枝を家に飾り、無病息災を願います。古くから京都で伝わる風習で、花街や料亭などでも飾られることがあります。
長野県の大寒の特色
寒天しめ縄
大寒の日に寒天を煮溶かしてしめ縄状に成形し、神棚に飾ります。寒天は不老長寿の象徴とされ、健康を願う意味があります。飯田市を中心に伝わる風習です。